大手私鉄Gはほとんど運営 高級志向の代名詞「百貨店」が衰退した本質的理由

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大手私鉄グループのほとんどは、自社ブランドの百貨店を抱えている。百貨店不況のなか、今後の行く末とは?

駅前再開発が本格化した1980年代

阪急百貨店(画像:写真AC)
阪急百貨店(画像:写真AC)

 1980年代には全国各地で都市基盤の整備が推進され、駅前ロータリーの整備、大型商業施設の誘致などの駅前再開発が本格化した。それに伴い各都道府県の中心都市の駅前には百貨店次々に開発されていった。

 老舗大手百貨店チェーン、私鉄グループ系百貨店チェーン、地元百貨店など、百貨店が複数出店するようになる。駅前再開発事業では新たに膨大な商業床が創出されるが、それを一括で引き受けられる資本的体力や信頼性を持つ商業業態として、百貨店に白羽の矢がたった訳である。

 また、商店街の活性化事業でも、その集客核施設として百貨店の誘致が積極的に推進された。当時、百貨店は地域活性化をけん引する施設として期待されていたと言える。

 昭和の最盛期、百貨店へのお出かけは家族の休日のぜいたくなレジャーであった。小さい子連れファミリーならば、おもちゃ売り場でおもちゃを物色し、催事場のイベントで遊び、最上階の大食堂で食事をするのが定番のコースだろうか。屋上のミニ遊園地で遊んだり、同じく屋上にあったガーデニングショップやペットショップを眺めたりする人もいただろう。

 催事場ではさまざまなイベントが開催され、夏休みにはお化け屋敷や縁日など子供がわくわくする遊園地のようなイベントが開催された。海外の著名絵画を招致した絵画展など芸術関連の大型イベントもあり、現在ほど文化施設が整備されていなかった時代に、地域の文化的支柱も担っていたと言える。

 飲食施設は現在のような飲食店街ではなく、和食、洋食、中華からデザートまで、人気のメニューが一堂に取りそろえられた大食堂であった。3世代で利用してもみんな好きなメニューを頼むことができ、どの世代も満足することができた。

 その後、食の志向が細分化し、外食チェーンが拡大してくると、現在のような飲食店街の形にリニューアルされる。当時は外食自体が特別であったこともあるが、大食堂のわくわく感を現在の飲食店街が完全に補完しているとは言い難い。

 近年、都市部ではフードホール(ファストフードではない比較的高級な飲食店のメニューを、フードコートのように自由に選んで共通の飲食スペースで食事する飲食業態)が人気であるが、やはりさまざまなメニューを自由に選べるということはぜいたくなことと言えるだろう。