夏の甲子園明日開幕! 高校野球もプロ野球も「鉄道会社」がつくったって本当?

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「夏の甲子園」として知られる全国高等学校野球選手権大会。その立ち上げには鉄道会社が深く関わっていた。

第1~2回は大阪で開催

阪神甲子園球場(画像:写真AC)
阪神甲子園球場(画像:写真AC)

 8月6日、全国高等学校野球選手権大会が開幕する。同大会は阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で試合が実施されることから、「夏の甲子園」との通称が定着している。

 大会の歴史をひもとくと、舞台を甲子園に移したのは1924(大正13)年からで、1915年の第1回と1916年の第2回大会は大阪府豊中村(現・豊中市)の豊中球場で開催された。

 第1回大会が豊中球場で開催されたのは、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)の力によるところが大きい。箕面有馬電気軌道は1910(明治43)年に大阪の梅田駅と兵庫県の宝塚駅を結ぶ路線で、それに途中の石橋(現・石橋阪大前)駅から分岐して箕面公園(現・箕面)駅までを結ぶ支線を同時に開業した。

 2路線の沿線は農地が広がっており、鉄道を利用する人がいるとは思えなかった。後に阪急の総帥として私鉄界に君臨する小林一三は、沿線需要を創出するために沿線に住宅地を造成。分譲した住宅地を販売することで利益をあげると同時に、住宅地に居住したサラリーマンが電車に乗って梅田方面へと通勤するという、私鉄のビジネスモデルを築き上げていく。

 豊中球場で野球の試合を開催するというアイデアも、小林の沿線需要を生み出すアイデアのひとつだった。沿線で野球の試合を開催すれば、それを観戦する多くの人たちが電車に乗って豊中まで足を運ぶことになる。そうした思惑から、小林は大阪朝日新聞に呼びかけて第1回全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)が実現した。

 小林・阪急の後押しがなければ甲子園大会は生まれなかったわけだが、豊中球場で実施されていた大会は第3回から舞台を兵庫県鳴尾村に所在する鳴尾球場へと移した。

 豊中球場から鳴尾球場へと試合会場を移した理由は、大会が盛況で観客を収容できなかったことが大きな理由だった。