70~80年代の日本で大活躍! イギリス名門バイクの「エンジン」がライダーを魅了し続けたワケ
イギリスの名門モーターサイクル「トライアンフ」。1930年代に注目を集めたそのメーカーのエンジンは、70~80年代の日本で大いなる活躍を見せた。半世紀を超えてライダーやレーサーに愛されたその軌跡をたどる。
80年代まで最強エンジンの座に君臨

トライアンフがレースに向いていた理由。
それは、OHVながら吸排気カムシャフトが独立しており、パワー特性をライダー個々の好みにセッティングしやすかったことが挙げられる。もちろん2気筒ならではのパンチのあるフラットなトルク特性や、単気筒と比較して振動が少なかったことなども高く評価された。
トライアンフの2気筒エンジンは、1962(昭和37)年の秋にデビューした翌1963年型から、それまでのクランクケースとトランスミッションケース別体構造から両者を一体化したユニット構造となったが、オートレース用エンジンは専用の2速トランスミッションを使用する関係から、全て1962年以前の別体構造独立クランクケースモデルだった。
この時点で、旧型が最新のレース用エンジンという異色な存在だったのである。
これらトライアンフの2気筒エンジンは最終的には排気量を663ccにまでアップし、1980年代半ばまでは日本のオートレースにおける最強エンジンの座に君臨し続けた。
しかし1984年、本国のトライアンフ社が経営難から倒産すると、その部品供給体制が急激に悪化。最終的には国産のメグロやフジに取って替わられることとなった。
もちろんそうした中でもトライアンフを使うことを選択したレーサーは何人かおり、1993(平成5)年に使用エンジンが全車スズキ製の新しいオートレース専用エンジンのセアに統一されるまで、第一線にあり続けた。