輸送密度を狙い撃ち ローカル線存廃で「沿線自治体」に責任を押し付ける国の愚行とただよう今更感
「存廃」論議に漂う今更感
さて、気になるのは検討を進める上での国の果たす役割だ。
提言の「今後取り組むべき方向性」では
「国・地方自治体・交通事業者が上記の役割分担を踏まえて、協力・協働しながら取り組んでいくことが不可欠である」
「国のより積極的・主体的な関与を期待する意見も強く、国としてもこうした期待に応えていくべきである」
といった記述があるが、具体的にどのように支援するのか、まったく記されていない。うがった見方をすると、今後どうするかはJR各社と沿線自治体に
「丸投げ」
しているように見える。
赤字の続くローカル線の存廃は、今に始まったことではない。国鉄民営化の時点でも大きな問題になっている。
1986(昭和61)年10月13日の衆議院「日本国有鉄道改革に関する特別委員会」で、当時の橋本龍太郎運輸大臣は赤字ローカル線の存廃について
「その廃止が地域住民にとって極めて大きな利便の阻害になるという状況であれば、この認可はいたさないと私は考えております」
とし、重ねてこう発言している。
「事業の廃止については採算性そのものを判断基準としているのではございません。まさに廃止に伴う公衆の利便の阻害状況というものを見て許可の当否を判断するわけでありますから、その廃止が地域住民にとって極めて大きな利便の阻害になるという状況であれば、この認可はいたさないと私は考えております」
国鉄分割民営化時点では、採算性を理由にした廃止は国が認めないといっていたのに対して、提言では、収支悪化や危機感を持たなかったことを問題としている。既に国鉄分割民営化から35年の月日が流れ、当時のこれを主導した人たちもほとんど鬼籍に入った。新型コロナウイルスが大はやりして、社会の仕組みが大きく変化している時代だ。何十年も前の運輸大臣の答弁を持ち出してくるのは、失笑されるかもしれない。それでも、鉄道は公共交通機関である。
公共のものである以上、利用者はいる限り、収支を理由に存廃を決めてよいはずがない。「利用者がいて、沿線が存続を希望しているのであれば、廃止・バス転換は許されない」と、国が責任を負うことも含めて、提言は明記すべきだったのではないか。
これはいわば、沿線自治体に
「問題解決の責任を負わせた」
といっても過言ではない。これから、どのような議論が行われていくのか、私たちは注視しなければならない。