首都圏の「自動改札機」はなぜ平成まで本格導入されなかったのか? 関西圏は昭和に普及、決定的な違いとは

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首都圏の自動改札化がようやく進んだのは、国鉄の分割民営化後のことだという。1970年代前半には、鉄道業界全体で将来を見据えた取り組みが行われたが、いったいなぜなのか。

山が動いたことで一気に進んだ首都圏の自動改札化

駅の自動改札機(画像:写真AC)
駅の自動改札機(画像:写真AC)

 首都圏の自動改札化がようやく進んだのは、国鉄の分割民営化(1987年)後のことだ。1990(平成2)年に東日本旅客鉄道(JR東日本)が自動改札機の本格導入を打ち出したのだ。

 これに営団地下鉄も追随。それは、技術の進化と分割民営化による環境の変化とがリンクした現象だといえる。

 大きな山が動いたことで、各私鉄もあとを追い、1990年代前半のうちに首都圏でも自動改札は当たり前の光景となった。

自動改札は普及したがICカードがなかった時期があった

駅の自動改札機(画像:写真AC)
駅の自動改札機(画像:写真AC)

 なお、混同されがちだが、首都圏の自動改札普及期とICカードが広まった時期はイコールではない。

 JR東日本によるSuicaのデビューは2001(平成13)年なので、乗客が普通乗車券や定期券を改札機にイン、アウトさせていた時代が10年ほどあったのである。

 その時代には、定期券を出し入れしやすい定期入れが広まり、自動改札機にインすれば運賃が自動的に精算される磁気式プリペイド乗車カード「イオカード」(JR東日本)、「パスネット」(関東の私鉄各社)などが存在したことも記しておきたい。

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