首都圏の「自動改札機」はなぜ平成まで本格導入されなかったのか? 関西圏は昭和に普及、決定的な違いとは
近鉄・阪急・京阪などが続々参入
まず、1966(昭和41)年に近畿日本鉄道(近鉄)が、道南大阪線・大阪阿部野橋駅で、パンチカード式の定期券用自動改札機の実用実験を行った。
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これは、文字通り定期券に空いた穴で情報を得るシステムで、立石電機(現・オムロン)と近鉄が共同開発したものだった。
翌年には京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)が、千里線・北千里駅に立石電機開発の自動改札機を本格設置。こちらは、定期券はパンチカード式、普通乗車券はバーコード式が用いられた。
一方、近鉄は1969年になると、日本信号が開発した磁気化乗車券を使用した自動改札機を奈良線・学園前駅にテスト導入。以後、乗車券に磁気で記録した情報を装置が読み取る方式が自動改札機の主流となっていく。
このほか、1970年代前半には鉄道業界全体で将来を見据えた取り組みとして、磁気コードの標準化などが行われている。また、それと前後して、他の関西私鉄や地下鉄も続々と自動改札導入に動き出した。
それぞれ最初に設置された駅は、
・京阪電気鉄道京阪本線 樟葉駅(1971年)
・大阪市営地下鉄(現・大阪市高速電気軌道)四つ橋線 玉出駅(1971年)
・阪神電気鉄道阪神本線、西大阪線(現・阪神なんば線) 尼崎駅(1972年)
・南海電気鉄道南海本線 和歌山市駅(1972年)
となっている。
関西圏でも国鉄だけ遅れた事情とは
そこから、各社が足並みをそろえるように自動改札化を推進していくことで、関西では、1980年代後半までに完了に近いレベルに自動改札化が進んでいった。ただし、それは私鉄、地下鉄に限った話で、日本国有鉄道(国鉄)だけは流れの外にいた。
もちろん国鉄とて自動改札化に無関心だったわけではない。
1970年代に
・首都圏での散発的な試験運用
・新規路線の一部駅での自動改札機の常設
なども行っている。
関西でも1979(昭和54)年に片町線の一部や京都駅での試験導入の実績もある。しかし、国鉄全体として、本格的な自動改札化にまい進しなかったのだ。
原因は国鉄の「構造」にあった。
1960年代から1970年にかけての国鉄は、職員が約45万人に及ぶ超巨大組織であり、人件費が膨れ上がることで恒常的な赤字体質に陥っていた。一方で、組織が大きいゆえに複数存在した大規模な労働組合の力が強大で、上層部は合理化を容易に断行できずにいた。
改札口が無人となれば多くの職員が働く場を失うことにつながるため、各組合が猛反対の姿勢を打ち出すのは当然だ。これが国鉄における自動改札化のブレーキになったと考えられる。