JALが7年ぶりANAに勝利! コロナ禍の旅客数、浮き彫りになった決定的な「両社の差」とは
有事に強いJAL
新型コロナウイルス禍に加え、最近はウクライナ情勢も国際線に影響を及ぼしている。ここ最近
「やはりJALは有事に強い」
との声も聞かれる。
日本における国際線の歴史、その大半はJALとともにある。1954(昭和29)年2月に開設された東京-ホノルル-サンフランシスコ線が、日本で初めての国際線定期便だ。JALは現在も東京(羽田)-サンフランシスコ線を、JAL0001便/0002便として運航している。
そして、1964年に日本航空が日本初の海外パッケージ商品ブランドとして「ジャルパック」を設立。翌1965年にヨーロッパへ第1陣が出発した。当時まだ世界は冷戦時代で、アラスカのアンカレッジを経由する北回りルートが採用されていた。
コロナ禍では、両社とも国際線の約9割が欠航。羽田または成田-ニューヨーク、シカゴ、ロンドン、バンコク線など首都圏発着のごくわずかな運航のみとなった。そんななかでも、JALの奮闘ぶりがあった。
例えばJALはロサンゼルス-大阪(関西)線を週1便でいち早く再開。当時、日本入国後に公共交通機関で移動することができず、到着地が首都圏以外だと不便極まりなかった。その状況下での運航再開だったわけだ。
筆者(シカマアキ、旅行ジャーナリスト)も2021年9月、この便に搭乗したが、関西のほか九州や中部などへ向かうのに「成田や羽田より関空のほうが近い」と言って利用していた在外邦人が非常に多かった。コロナ禍でも移動せざるを得ない人々が少なからずいる。「JALが飛ばし続けてくれている」と、その受け皿となっていた。
さらにウクライナ情勢の影響で、ヨーロッパ路線はさらに便数が減った。両社ともいったん全便を運休後、JALはロンドン線を北回りルートで再開し、ヘルシンキ線もそれに続いた。一方、ANAは南回りルートで、フランクフルト線とブリュッセル線のみ再開。しかも後者はどちらかと言うと貨物向けだった。
他の外資系エアラインも南回りルートが主流な中、JALが「過去の運航実績がある」として北回りルートを選択したことに、当初は懐疑的な見方もあった。しかし今ではANAも日本発は北回りルートで運航している(日本行きは両社とも南回りルート)。