なぜ世界のコレクターは「30年前の日産車」を奪い合うのか? プレミアム価格での取引が過熱! 海外へ広がる「レトロJDM」の熱狂とは
バブル期に誕生した日産のパイクカーが、30年の時を経てストック型資産へと昇華している。倍率20倍超を記録したフィガロは米25年ルールなどの海外需要で高騰し、国内では新車の4倍超となる700万円で取引される例も。感性重視の戦略が生んだ歴史的価値と、世界的な保全エコシステムの全貌に迫る。
感性優先の思想がもたらす資産価値

日産がかつて生み出したBe-1、パオ、フィガロ。新車としての販売が終わってから30年以上が経ついまも、これらは中古車市場で高値で取引されている。年数とともに価値が目減りする移動手段という枠を超え、時を経るほどに愛着の対象として評価が高まるストック型資産へとクルマの性質を変えた先駆的な事例だ。
これら3車種に流れているのは、日本経済がバブル景気に沸いた1980年代後半から90年代初頭にかけて展開されたパイクカー・プロジェクトの思想である。パイク(pike)とは槍の先を意味し、常識にとらわれない個性と遊び心を少量生産で届ける意志が込められていた。
当時の国内メーカーが過度なスペック競争に熱を上げ、コンパクトカー市場には直線的で箱型の無機質なデザインが溢れていた。日産はそこに、人間味のある心の余裕ややすらぎを求めるここちよさ優先のナチュラルカーという新しい価値観を持ち込んだのである。
この思想を形にするため、日産は従来の開発プロセスを根底から改めた。社内デザイナーだけでなく、社外クリエイターやイタリアの工房を交えたデザインコンペティションを行った。のちに数々の名作を手がけるコンセプターの坂井直樹氏をプロデューサーに招き、機能美ではなく生活を彩る記号としての造形を求めている。
初代マーチ(K10型)の基本骨格を生かして開発費を抑えつつ、製造の大部分を特殊車両の架装技術に優れた高田工業に任せた。大量生産の仕組みに縛られない、手作業に近い多品種少量生産の体制を築き上げている。
くわえて、錆びにくく熱で元の形に戻る新素材フレックスパネル(ポリアミド変性PPOアロイ樹脂)を世界で初めて本格採用し、従来の金属プレスでは難しいやわらかく立体的な曲面フォルムを安定して作り上げることに成功した。