貨物専用線に「旅客列車」が乗り入れる? 8期ぶり黒字「茨城三セク鉄道」で何が起きたのか――かつて“空気を運んだ”路線の現在

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国内で数少ない旅客・貨物の二刀流を貫く鹿島臨海鉄道など私鉄4社が連携に乗り出した。中でも鹿島臨海鉄道は、貨物発足から旅客7:貨物4の収益構造を確立。2026年3月期に11億円超の営業収益で8期ぶり黒字を達成した背景には、貨物資産の流用企画と堅実な資産運用の強みがある。

貨物専用から特殊事情を経ての再開

鹿島臨海鉄道の貨物列車(画像:鹿島臨海鉄道)
鹿島臨海鉄道の貨物列車(画像:鹿島臨海鉄道)

 4社の中でも、鹿島臨海鉄道は、設立・営業開始当初と比べて、比較的短い期間で大きく姿を変えた事業者だ。

 同社は前述のとおり、1970(昭和45)年に鹿島臨海工業地帯と旧国鉄を結ぶ貨物専用路線として、北鹿島(現鹿島サッカースタジアム)と奥野谷浜を結ぶ鹿島臨港線(19.2km)を開業した。

 その後、同線では1978年3月に成田空港への航空燃料の暫定輸送を始めた。1983年8月に成田空港へのパイプラインが本格的に動き始めたため、暫定輸送は終了している。

 この間、ほぼ同じ時期に、わずか5年間ではあるものの、北鹿島~鹿島港南間で旅客営業も行っている。

 ただし、これはいわゆる成田空港問題への見返りとして1日3往復のみ行ったもので、本格的に旅客営業を行うものではなかった。

 そもそも鹿島臨港線は貨物専用線として造られた路線で、駅周辺の人口も少なかった。そのため、連日、ほとんど人が乗らず、空気を運んでいるような状態だったという。

 この旅客営業の終了により、同社はいったん旅客・貨物輸送の両方を行う鉄道事業者から、再び貨物輸送のみを行う事業者となった。

 一方、当時、鹿島線の水戸~北鹿島(現鹿島サッカースタジアム)間を建設していた分割民営化前の国鉄(現JR東日本)は、巨額の赤字を抱え、新しい路線の開業を凍結せざるを得ない状況にあった。

 この事態を受け、茨城県議会は1984年、鹿島臨海鉄道が同区間を引き受けることを議決した。

 同区間は1985年3月に大洗鹿島線として開業し、合わせて国鉄(現JR東日本)の鹿島神宮まで乗り入れを始めた。こうして同社は再び旅客・貨物輸送の両方を行う鉄道事業者となった。

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