なぜ日本人は「海水浴」へ行かなくなったのか? ピーク時9割減の根本理由とは? 崩れ始めた“遠出レジャー”の前提
移動価値の二極化と海辺空間の将来像

海水浴文化の衰退は、日本人のレジャー観そのものの変質を映し出す鏡だ。
遠方まで足を延ばし、長時間滞在して単一の目的を消費する昭和型のレジャーモデルは、車社会という右肩上がりの生活様式が広く共有されて初めて成立するものだった。
可処分時間が限られる現代においては、移動による摩擦や快適性の落差をシビアに計算したうえで行き先が選ばれる。移動に対する価値観は、時間を極小化して近隣の商業エリアや空調の効いた屋内空間で効率よくタイパを満たす選択と、観光列車やキャンピングカーのように移動プロセスそのものをエンターテインメントとして消費する選択へと大きく二極化している。負担ばかりが大きく目的地に到着するまで何の価値も生み出さない旧来型の長距離移動は、真っ先に淘汰の対象となっている。
ただ、足元の海離れをレジャーの流行り廃りと見過ごすことはできない。放置すれば、海運や水産など、海洋国家・日本の屋台骨を支える産業全体の地盤沈下にも直結しかねない危機だからだ。
日本財団のデータでは小学生の75%が海に行きたいと回答しているにもかかわらず、親が車を所有していない、あるいは道中の苦労を敬遠するといった理由で海と接点を持てない子どもが増加している。幼少期に海の原体験を持たない世代は水に対する恐怖心や抵抗感を抱きやすく、成長しても海辺に近づかないという負の連鎖を生む。
これを断ち切るには、各家庭のマイカー保有状況に依存せず、学校や地域のバスなどを活用して安全に海を体験できる公的なスキーム作りが急務となる。あわせて、環境問題へのリテラシーが高く海への訪問意欲も旺盛な高校生世代を巻き込み、海辺の価値を再定義していく柔軟なアプローチも有効だろう。
既存の観光地や地方の集客施設、郊外の大型商業モールなど、車での来訪を前提にビジネスを組み立ててきたあらゆる拠点において、目的地は交通手段の利便性やアクセスの時間帯、周辺インフラとの組み合わせによって流動的に取捨選択される滞在拠点のひとつへと変質している。
果たして海は再び大勢の客を惹きつける熱気を取り戻すのか、それとも短時間滞在や体験型サービスに特化した新しい空間へと役割を移すのか。
5年先、10年先の海岸線の風景は情緒的な魅力だけで決まるわけではない。デジタルの力を駆使して安全管理を高度化し、季節を問わず地域に経済効果をもたらす多機能な海洋インフラへと脱皮できるかどうかが問われている。
人々が限られた時間をどう割り振り、どの程度の移動コストなら許容できると判断するのか。消費者のシビアな価値算定のなかで、海という空間の次なるポジションが決まっていくだろう。