「鉄道じゃダメだったんですか?」 1926年開業の東京の貨物線! 70年続いた旅客化構想がたどり着いた意外な結論とは

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1926年開業の貨物線「新金線」を巡り、葛飾区の悲願だった旅客化が2025年、鉄道ではなくBRT案で大きくかじを切った。2030年代後半の開業を目指すが、1時間で40分閉まる踏切や深刻なドライバー不足など壁は厚い。南北インフラの起死回生策となるのか、混雑する現地のリアルから実効性を探る。

新金線の歴史と鉄道旅客化の挫折

筆者が撮影した写真(画像:宮田直太郎)
筆者が撮影した写真(画像:宮田直太郎)

 新金線は正式には「新金貨物線」といい、総武線の新小岩駅と常磐線の金町駅を結ぶ貨物線である。千葉県内からの貨物列車を隅田川経由で東京都心へ運ぶことを目的に、1926(大正15)年に開業した。隅田川への架橋が進んでいなかった総武線沿線の物流改善に大きく貢献した路線である。

 関東大震災後に隅田川への架橋が完成した後も、御茶ノ水駅から秋葉原駅への急勾配を越えられない貨物列車は新金線経由で運行が続けられた。日本の高度経済成長期には、物流網の拡大を支える役割も担った。しかし、

・トラック輸送の普及
・武蔵野線、京葉線の開業

などにより、貨物列車の運行本数は大きく減少した。

 一方で沿線では宅地化が進み、旅客輸送への需要が高まったことから、第二次世界大戦後には旅客化を検討する動きが見られるようになった。1951(昭和26)年には「金町、新小岩両駅間の貨物専用に乗客用電車線併設の請願」が国会に提出されたが、財政事情などから2年後に当時の吉田内閣が否定的な見解を示している。

 また、新金線は単線で運行されていたことから、貨物需要が伸びていた高度成長期には旅客化と合わせた複線化の計画も浮上し、実際に用地買収も進められた。しかし、貨物輸送の需要がトラックへ移っていったこともあり、計画の実現には至らなかった。

 その後、1980年代になると、常磐線の混雑緩和やつくば市への鉄道アクセス確保を目的に、つくばから南流山、松戸、亀戸を経由して半蔵門線へ直通する新たな路線計画が浮上した。

 この計画では、新金線を活用する案も検討された。しかし、新小岩駅や亀戸駅で乗り換えが発生することで、総武線の混雑をさらに悪化させる可能性があるとして採用されなかった。

 つくばへの輸送ルートは、ラッシュ時の想定輸送人員が約9万人で、新金線経由のルート(約2万1000人)の4倍以上となる北千住経由へ変更された。この構想によって実現したのが、現在のつくばエクスプレス(2005年開業)である。

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