「横浜の新名所」になるはずだった街――なぜ本牧は人を呼べなくなったのか? 15年開業予定だった鉄道計画の行方とは

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バブルの象徴マイカル本牧の凋落や、バス停に72人が滞留する混雑――。横浜・本牧が抱える苦境の影には、2015年目標だった地下鉄構想の頓挫による「鉄道空白地帯」化がある。交通インフラ不足が招いた商業低迷とオーバーツーリズムの矛盾を通じ、みなとみらい線延伸など再起に向けた街の動向を検証する。

米軍返還と「マイカル本牧」誕生の歴史

筆者が撮影した写真(画像:宮田直太郎)
筆者が撮影した写真(画像:宮田直太郎)

 横浜市中区本牧――。古くは複雑な海岸線が生み出す景勝地や好漁場として栄え、戦後の埋め立て後は工場地帯や船が発着する埠頭として、港町・横浜を支える地域となった。

 また、景勝地だった時代に実業家・原富三郎(1868~1939年)が構えた別荘は、現在は三溪園として公開されている。鎌倉や京都などから移築された古い寺社建築が数多く残り、日本らしい風景を楽しめる場所となっている。

 第二次大戦後、本牧は米軍に接収され、横浜海浜住宅地区となった。この地域は1982(昭和57)年まで日本に返還されなかったが、その間、日本におけるジャズなどの米国文化の発信地となった。

 返還後は住宅街や商業施設「マイカル本牧」、公園などとして整備が進められた。返還後の開発はバブル期と重なり、かつて米軍施設があった広大な土地を生かした、大規模で豪華な施設が多く整備された。特にマイカル本牧は後述するように、当時は横浜の新たな名所として注目され、新しい商業施設の形としても関心を集めた。

 なお、マイカル本牧はその後、運営会社であるマイカルの経営破綻(2001年)やイオンリテールによる吸収合併(2011年)を経て、現在はイオン本牧店となっている。本記事では知名度の高いマイカル本牧の名称で統一して解説する。

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