東海道はかつて「軍用道路」だった! なぜインフラ整備は歴史から学ぶべきなのか【連載】江戸モビリティーズのまなざし(1) 歌川広重「東海道五十三次 三島 朝霧」1833~1834年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 箱根」 水野年方「三十六佳撰 遊山 享保頃婦人」。1893年 高橋松亭「お茶の水」。1909~1916年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 沼津」 「東海道五拾三(五十三)次 原」。原宿は日本橋から数えて13番目の宿場町で、現在の静岡県沼津市にあった。富士山の眺望が良いビューポイントだった(画像:国立国会図書館) 五街道表(画像:小林明) 「東海道五拾三次之内 藤枝 人馬継立」。継立とは引き継ぎのこと。人足と馬が荷物を引き継いでいる様子を描いている(画像:国立国会図書館) 五街道の宿場町を全解説した「日本街道総覧」の小田原宿。江戸時代は小田原藩の領地で、藩主は大久保家。石高は約10万石。かまぼこなどの名産品は、藩にとって貴重な財源だったろう。個人所蔵(画像:小林明) この画像の記事を読む