江戸を支えた水の道! 「利根川水運」の興亡と商業革命とは【連載】江戸モビリティーズのまなざし(22) 歌川広重「東海道五十三次 三島 朝霧」1833~1834年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 箱根」 水野年方「三十六佳撰 遊山 享保頃婦人」。1893年 高橋松亭「お茶の水」。1909~1916年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 沼津」 利根川の下流沿いにある息洲(息栖)明神(奥に見える鳥居/茨城県神栖市)の前を通る高瀬舟(画像:利根川図志/国立公文書館) 1843(天保14)年制作の農書『老農夜話』には、どこの河岸か特定できないが船で運ばれてきた米俵を米蔵に搬入する場面がある(画像:東京大学史料編纂所) 利根川水運によって栄えた河岸のひとつ、木下河岸(千葉県印西市)。奥に立ち並んでいるのが河岸問屋だ(画像:利根川図志/国立公文書館) 布川(茨城県北相馬郡)のにぎわいを描いた絵。10月(旧暦)には地蔵市と呼ばれる市がたち、商業の町として栄えた(画像:利根川図志/国立公文書館) 葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景常州牛堀』の高瀬船。常州牛堀は現在の茨城県潮来市の辺り(画像:ColBase) この画像の記事を読む